荒野の旅人

荒野の旅人(遊戯王 封印されし記憶実況者)

ツイキャス(文学)とYoutub(遊戯王)中心の記事を投稿していきます。

【生きる力】今こそ見直そう!個人の力を

今回のテーマは「個人の力を見直す」です。

歴史の流れを見ながら、疎外されていった個人と

肥大化していった組織とを比較し、個人の力を再評価

していきたいと思います。

 

1.産業革命と資本主義の発達がもたらしたもの

 

 

資源の発見、新発明、産業の発展、人口の増加・・・。

人類は時代とともにその文明の力を飛躍的に

向上させてきました。

それは物質的な豊かさをもたらす一方で、

個人の力を奪い、個人は既存の社会システムの中に

組み込まれることになりました。

 

それまで1人の職人が手作業で行っていた仕事が、

自動化され、分業化されることによって技能を持たない

労働者でも可能になった。

資本家は労働者を雇い、利潤を得る。

労働者は、資本家の目的を果たすための歯車として

組み込まれることになった・・・。

 

そして、民主主義の拡大に伴う参政権の付与に

よって一般市民も政治に参加できる社会が

できあがり始めた・・・。

 

自由で平等な社会の実現・・・。

貴族や皇帝が政治を独占していた時代や

身分制による貧富の格差が甚大だった

時代と比べれば、それは決して夢物語

とはいえないほど現実味を帯びたのかも

しれない・・・。

しかし、実際はうまくいかなかったですね。

それはなぜか。

 

現代社会は、個人を原子化して弱体化させすぎた」

からです。

 

典型例は選挙です。

いま、日本では18歳以上のすべての国民に

参政権が与えられています。

学歴も職業も性別も信仰も関係ありません。

18歳以上であれば選挙に行くことが

できます。

 

それだけ一般市民に政治が開放されているなら、

貴族政時代よりも良い政治が期待できるはずだ…。

普通はそう考えるでしょう。

ですが、なかなか政治は思うように進まない。

どうしてか?

参政権が広がり、国家も巨大化し、

国家に求められる役割も増え、人口も

増加した。

これが何をもたらしたかといえば、

「個人の無力感を生み出した」

この一言に尽きます。

 

選挙の投票率の低下が懸念されることが

ありますが、なぜそうなるかというと、

「自分ひとりが投票しても何も変わらない」

と考えてしまうからです。

ではなぜそのように自分の1票に価値が

感じられないのかといえば、

自分以外の有権者が多すぎるからです。

 

これは極端な話をすればわかりますが、

たとえば有権者30人で、2人いる候補者の

中から1人選ぶと仮定しましょう。

この場合、票が完全に割れていれば、

14対16で自分の1票が命運を分けた

ということが実感できるでしょう。

 

ですが、日本の国政選挙でそんな

数票で勝負が決まるということはまず

起こりません。

数百、数千の差がつくことのほうが

多いでしょう。

 

で、そんな状況だと自分の投票は

結果には影響しない。影響しないのなら

行く必要はない。ゆえに私は行かない。

といった見事に合理的な思考が完成し、

投票率は低下します。

これは実に皮肉な話で、

一部の人が独占していた選挙権を一般人に

拡大した結果、1票の力が弱まり、

選挙に無関心になる、といった

ことになってしまっているのです。

 

このように、政治の世界における個人の役割は

大海原に浮かぶ1枚の葉のごとく小さなもの

になってしまっています。

 

じゃあ、経済はどうなんだ、という話ですが、

事情は政治と変わりません。

つまるところ、今のシステムでは個人はどうあがいても

社会の歯車でしかない。

 

就職活動というものを一度でも経験したことが

ある人ならわかると思いますが、そこでは

自分という個人が原子化され、弱体化したことを

否が応でも感じさせられます。

 

まあ、私も一応就職活動はしたんですが、なんというか

得体の知れない気持ち悪さや虚無感を感じつつも、

その正体がはっきりとは掴めずにいました・・・。

しかし、今回のコロナ禍を経てようやくわかりました。

 

それは、家族や学校にいくら評価され、自尊感情

育てることができたとしても、社会に出れば自分が

歯車の一部でしかないということを叩きつけられる

場だからです。

 

まず、企業が情報・人員・資本を持っている。

個人ではそれに勝てない。

だから個人はその企業に入れてもらう。

これがいわゆる【会社員になる】タイプの

就職活動の構図です。

ひとりでは勝てないから企業に入る。

 

だけど、そもそも個人の力を奪っているのは

企業という皮肉。

企業が先に事業を始めてしまっているから

個人が参入しにくくなっているわけで。

野菜を作って売ろうとしても、音楽を作って

売ろうとしても、既に技術を蓄えた企業という

集団に、個人が勝つのはなかなか厳しい話。

 

まあ、仮に勝てたとしても勝ち続けることができるか

どうかというのはまた別の問題ですからね・・・。

 

というわけで、政治においても経済においても

私のような一般人の占める地位は低く、その

影響力は雀の涙もいいところ。

というのは事実ではありますけれども、

それでもなお、私は個人の持つ力に注目し、

それを再評価していきたいと思っているところであります。

 

2.インターネットの発達

 

近年のインターネットの発達により、個人が情報発信することが

容易になりました。

まあ、インターネットもSNSも結局はどこかの企業が

始めたものでしかないけども、それでも個人の力が

再評価されうる環境が整備されつつあるというのは

あながち間違いではないと思います。

 

だからぼくはこれからも情報発信をしていきたい。

ぼくは作家でも、デザイナーでも、プログラマーでもない。

ネットもパソコンも素人だし、ぼくの文章に芥川賞だとかの

文学的価値があるわけでもないんだけど、それでもぼくは

ブログは続けようと思う。

誰かの命令や目標に拘束されるのでもなく、個人が

個人で好きなことをやっていく。

そういうことができる場だと思うから。

 

組織に頼らず、自分ひとりでできることを探すことは、

充実した人生を送る上でも大切なことのような気がする。

はっきり言わせてもらうけど、

個人のための国家であって、その逆ではない。

国家を維持するために国民が必要なのではなく、

国民を守るために国家が必要だということ。

まあ、今は国民の生活が脅かされていて

なかなか厳しい状態だとは思うけど。

 

もちろん、会社も同じ。

人間が生きるのはあくまで個人のためだ。

そして、個人として生きる中で、他者への貢献や

奉仕といったことも覚えていく、という

だけの話だ。

だからぼくはこれから何か社会貢献をするとしても、

それはぼく個人やその相手のためであって、

どこかの企業の利益を増やすためではない。

どこかの企業に属することがあっても、

ぼくは自分の魂まで売り渡す気は毛頭ない。

ぼくは人間社交界の表面上取り繕っただけの

偽善的・表層的平和、事なかれ主義が大嫌いなので、

自分の所属する組織がそうなったらなんのためらいもなく

去る予定ではあるけど・・・。

 

ぼくはいま、自分ひとりで生計を立てられるほどの能力はないけど、

それでも少しずつ個人でできることを増やしていきたい。

生きることは、命のろうそくを燃やし続けることだ。

そのろうそくの火がいつ、どうやって消えるかはわからないけど、

ぼくはその火が消えるまで、魂を込めて生きよう。

 

漫画『天』で赤木しげるは言った。

自分がDNAの乗り物なのではなくて、

DNAが俺の乗り物なんだ、と。

 

利権と商業主義に溺れ、人の欲望を刺激するあらゆる

快楽に負けることなく、ぼくらは自分の力で自分自身を

楽しませよう。

世界が混乱し、政治が混乱している今だからこそ、

自分という個人の力を最大限発揮して生きていこう。