荒野の旅人

荒野の旅人(遊戯王 封印されし記憶実況者)

ツイキャス(文学)とYoutub(遊戯王)中心の記事を投稿していきます。

【書籍紹介② 『読書について』ショーペンハウアー著】

 

今回紹介する本はドイツの哲学者ショーペンハウアーが書いた

『読書について』(光文社古典新訳文庫)です。

3部構成になっていて、

1.自分の頭で考える

2.著述と文体について

3.読書について

となっています。

順に解説します。

 

 

1.自分の頭で考える

 

著者はまず多読を戒め、自分の頭で考えることの

重要性を説いています。

 

どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、

ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、

ずっと役に立つ。

同じことが知識についてもいえる。

いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに

鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、

じっくり考え抜いた知識のほうが、

はるかに価値がある。

なぜなら、ひとつの真実をほかの真実と突き合わせて、

自分が知っていることをあらゆる方面から、

総合的に判断してはじめて、

知識を完全に自分のものにし、意のままにできるからだ。

 

様々な観点から物事を見るために、いろいろな本を

たくさん読む方は多いと思います。

そして、現代では速読術などを駆使して短い時間に

いかに多くの本を読むかということが重視されている気がします。

ショーペンハウアーはそんな私たちに

警鐘を鳴らしているのでしょう。

本を読んで得た知識を、あなたは本当に使いこなせていますか?

書いてあることをそのまま信じるのではなく、

総合的に判断していますか?と。

 

また、彼は言います。

 

本を読むとは、自分の頭ではなく、

他人の頭で考えることだ。(中略)

自分の頭で考える人にとって、マイナスにしかならない。

なぜなら他人の考えはどれをとっても、ちがう精神から発し、

ちがう体系に属し、ちがう色合いを帯びているので、

決して思想・知識・洞察・確信が自然に融合して

ひとつにまとまってゆくことはなく、むしろ頭の中に

バベルの塔のような言葉の混乱をそっと引き起こすからだ。

 

本は他人の書いたものだから、それを読んでも

他人の思考を追っただけである。

しかも考え方や文体が自分と異なるがゆえに、

読んでいると混乱してしまう、と

いうわけですね。

ぼくも大学時代に似たような経験がありました。

主に西洋哲学の本を読んでいるときですが、哲学者は

一般的に用いられている言葉を

特殊な意味で用いることがよくあるんですね。

たとえば、「批判」。一般的にはケチをつける、という意味ですが、

カントの哲学では「吟味」という意味で用いられます。

さらに、哲学者がどんな問題意識を持っているのかを考えないと、

著者の思想がよくわからないんですね。

だからぼく自身、哲学書を読んでいるときは

よく混乱していました。

 

2.著述と文体について

 

第2部では著述と文体はどうあるべきか、どんな本を読むべきかについて

述べられています。

読むに値する作家とは自分の頭で考え、

書くテーマが定まっている作家である。

これに対して、読むに値しない作家とは自分の頭で考えず、

資料の寄せ集めや他著の引用を権威として用いる作家である、

と著者は主張します。

 

 書くとき、素材をじかに自分の頭から取り出す人物だけが、

読むに値する書き手だ。

 資料の寄せ集めで出来上がった本は

できるだけ読まないようにすべきだ。

 

良書と呼ばれるための条件については次のように述べています。

 真の思想家はみな、思想をできる限り純粋に、

明快に、簡明確実に表現しようと努める。

すぐれた文体であるための第一規則、それだけでもう十分といえそうな

規則は、「主張すべきものがある」ことだ。

 

テーマが明快で、さらに主張も簡潔でわかりやすい。

これが良書の条件であると主張しています。

たしかに、曖昧で抽象的な表現が多く、具体例も挙げられていない本は

読みづらく、主張も読み解きにくいですね。

一方で、あまりに主張を単純化しすぎると、読者はその結論ばかりに

注目してしまい、その結論が出るに至った過程を読み解くことができず、

自分の頭で考える力が身につかないのではないか、

とぼくは思います。

 

 現代ではインターネットを使えばいろいろな情報を

手に入れることができます。

しかし、そこにある情報は断片的なことも多いでしょう。

でも、その情報を手に入れるとあたかもそれが

すべてであるかのように錯覚してしまう。

わかりやすさ、単純さは大切ですが、限度を超えると弊害になりそうです。

 

 

3.読書について

 

第3部では読書の方法などが述べられています。

ここでも多読の戒め、自分で考えることの重要性が

一貫して書かれています。

 

 ひっきりなしに次々と本を読み、後から考えずにいると、

せっかく読んだものもしっかり根を下ろさず、

ほとんどが失われてしまう。

 

「反復は勉学の母である。」重要な本はどれもみな、

続けて二度読むべきだ。

二度目になると、内容のつながりがいっそうよくわかるし、

結末がわかっていれば、出だしをいっそう正しく理解できるからだ。

 

読書だけでなく、経験も同じことが言えると思います。

自分で計画し、行動し、反省して得た経験は、

他者に言われたことよりも

はるかに印象深く残り、自分の力になる。

粘り強く継続することで、思想にしろ、技術にしろ、

自らの血肉となる。

受け身ではなく、主体的に行動せよ、

と主張しているのではないでしょうか。

 

以上で、『読書について』の解説を終わります。